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祖母の命日。
祖母がこの日に亡くなったとき、いい日に亡くなったなぁって思った。
祝日だから、休みを取らなくても集まりやすいしね。
息子孝行だなぁって。
病気で亡くなったのだけど。
100才までは絶対生きてると思ってたんだけどなぁ~病気には勝てなかった。
だけど最後までジタバタしなかつた。
最後まで爪が伸びていた。一番驚いていたのは本人だった。
亡くなる前、夜中かなぁ何度か目を開けては、まだ生きてるんだだなぁって、言ってたこともあった。
先に亡くなっていた息子がおんぶしてやるよって夢で言ってたらしい。
あの叔父さんなら言いそうだ。
祖母は自分の息子のことを私たちに話すとき、ちゃん付けで呼んでいた。
この時の叔父さんは、六郎ちゃん。だから私たちは最後まで、こう呼んでいた。
祖母のことを私たちは、ばばちゃん、と呼んでいた。
ばばちゃんは頼もしかったし逞しかった。
二十歳で嫁いでから亡くなるまで、毎日日記を書いていた。入院しているときも書いていた。
しかも、前日とはボールペンの色を変えて書いていたのが、何かかっこいいと思ってた。
腰が早くから曲がっていたのだけど、田植えとか稲刈りのスピードは一番で我が家の稲刈り田植えに手伝い来た人がそのスピードに合わせるのが大変だった。
孫が使わなくなった自転車で、乗る練習をしていた。乗れたら楽だと思ったらしい。
ばばちゃんは、どこからか貰ってきた乳母車に漬物石などで工夫して自分が歩きやすくしているのをすごいと思っていた。
ばばちゃんと私は一緒に出掛けることも多く仲が良かった。
この世とあの世を含めても一番だと思う。